ダン・アイ・ベト画家 ベトナムの英雄の母親を描く旅

ダン・アイ・ベト画家 ベトナムの英雄の母親を描く旅


絵の具箱や筆などの荷物を肩に担ぎ、小型バイク(チャーリー)で
2010年2月19日に出発するダン・アイ・ベト画家。

10年前、ダン・アイ・ベト画家はベトナムの英雄となった人の母親の肖像画を後世に残したいという願いから、ベトナム全土で母親たちの肖像画2,400枚以上を描く旅に出ました。そして、その画家はチャーリーという名前の小型バイクを使って国中を旅し、彼女自身が祖国への愛と感謝を抱く美しい肖像画となりました。


肖像画家のダン・アイ・ベトさん(72歳)は、
全国各地でベトナムの英雄となった人の母親の肖像画2400枚以上を描く旅を続けてきた。


ダン・アイ・ベト画家が移動したキロ数から、10年間でこのS字型の国土の長さ数十倍を移動したと推定できます。2010年2月19日、62歳になった彼女は小型バイク(チャーリー)に乗り、絵の具の箱と絵筆が入った荷物を肩に乗せて旅を始めたのです。

2010年、2011年、2013年にダン・アイ・ベト画家は、チャーリー車に乗ってベトナムの英雄となった人の母親の肖像画をスケッチしながら63の省と都市を旅した初の女性、またベトナムの英雄の母親の肖像画を最も多く描いた人物として、それぞれベトナム・レコード・ブック・センターとアジア・レコード・ブックに認定されました。また、ベト画家は「ドイモイ期の労働英雄」の称号を授与された最初の画家でもあります(2021年4月14日)。この称号は、彼女の努力に対する褒章であると同時に社会からの評価でもあります。

彼女が健康と年齢の限界を乗り越えるのに役立った並外れた強さと内なる強さは、精神的な価値観から来ているに違いありません。

 


ダン・アイ・ベト画家は母親たちへの旅を人生を愛する旅に喩えます。だからこそ、多くの人が彼女にその年齢でやり遂げることができた原動力は何なのかと尋ねると、彼女は愛だとしか答えないのでしょう。何かを愛する時、私たちはあらゆる障害を乗り越えて、目的地に到達することができます。この哲学により、たとえそれが平坦ではなかったとしても、彼女の道は常に開かれ、思いに満ち溢れています。

ベト画家は峠や山を越えてラオ・カイ省の奥地に着いた時、ここにいた母親たちはもういないと知らされたことを思い出します。また別の時には、ダイ・ミン集落のイェン・ビン(イェン・バイ省)にあるグエン・ティ・ギーさんの母親に会いに行った時、彼女は重病でした。ベト画家は絵を描こうとは思いませんでしたが、子どもたちが真剣に懇願したので、目に涙を浮かべながら絵を描きました。

ダン・アイ・ベト画家は『時間の旅』の中で、自分が描いているのは母親の表情ではなく、母親の心と感情であると語っていました。だからこそ、母親たちと接するときはいつも近くにいて、母親たちに自分の子として見てもらい、母親たちの気持ちを聞けるようにしているのです。


 


ベト画家にとって、時間も彼女の旅を常に急ぐ要因のひとつです。なぜなら、彼女は「休むために立ち止まり、母親たちが去ってしまったら、たとえ彼女たちの姿を探したくても、見つけることができないだろう」という恐怖を抱いていたからです。

 

ダン・アイ・ベト画家は1995年からベトナムの英雄となった人の母親を描く計画を胸に抱いていましたが、実現するまでに16年かかりました。現在、彼女の旅は、発布された政令第56/2013/ND-CPによりベトナムの英雄の称号を授与された人の母親のリストに基づいて続けられています。

 

彼女にとって、彼女が行ってきた仕事は政治芸術であり、国に対する子供の責任です。母親の肖像画を描く時、​​その感情は単なる芸術的な昇華ではなく、責任の感情なのです。したがって、ダン・アイ・ベト画家の旅は優しさを広め、すべての人、特に若い世代に夢、野心、人生の理想に対する興味を強く引き起こすことになります。

 

ダン・アイ・ベト画家によるベトナムの英雄となった人の母親の肖像画。






文:タオ・ヴィー
撮影:トン・ハイとホーチミン市地理情報システム・アプリケーション・センター の資料
訳者:ソン・タム・クエン

 




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